これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“喪失感”を崖から突き落とす?

妻を喪って、3年くらいまでは、喪失感の圧力にグイグイ押され、
後退を余儀なくされていた。
どこまでも押されて、
最後、崖から突き落とされるのではないか と思うこともあった。


4年8ヶ月経った今は、
喪失感の圧力に耐える踏ん張りのコツを掴んで、
押し返すことは出来ないが、後退せずに、
何とか踏み留まっている状態だ。


耐えることが出来るようになったのだから、
今後は、攻勢に転じ、押し返し、
逆に、喪失感を崖から突き落とすことが出来るのではないかと考えがちだ。


そうはならないと思っている。


喪失感を崖から突き落とすことは、
妻もいっしょに突き落とすことになるような気がしてならないからだ。


喪失感の中に、妻の存在があるような気がするのだ。


そもそも、この喪失感は、
妻との出会いがなければ、存在していない訳で、
喪失感を残すことは、妻を残すことに繋がる。


喪失感に押し切られないようにしながら、
押し切ることもしない、
そのように、微妙な力加減を維持することが、
妻が、私の近くにいてもらうための条件のような気がしている。


私が死ぬ瞬間に、初めて、
喪失感を捨て去ってもいいような気がする。



全然違う話になるが、


私は、少しずつだが、
パソコン内の妻の写真を、時系列で整理している。


その作業をしていて、気がついたことがある。


妻が亡くなったのが2017年
日本でコロナが流行し始めたのが2020年


写真を見ると、2013年以降、妻は、マスクをするようになっている。
コロナ以前であるので、
周りに写っている人でマスクをしている人はいない。


私は、マスクをする理由を、その時、聞いていなかった。
時々、不思議な行動をする妻であったため、
私は、妻にマスクをする理由を聞くことをしなかった。


コロナ禍で、人々がマスクをしているのを見ていると、
2013年以降にマスクを付け始めた妻の行為について、
その理由を聞いておけばよかった と思うことしきりだ。

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