これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻へお裾分け

私は、妻から、
手作り料理 などの有形のものは、もらえなかったが、
妻の持っている無形のものをたくさんもらった。


世界遺産に例えるならば、
建築物など、有形文化財を対象とするのに対し、
伝統習慣、工芸等を対象とする無形文化遺産の方になるだろう。


もらったもの、それは、
妻の言動から受ける「感動」というもの。


トレンドに翻弄されない軸を持ったスタンス、
うまく行かないこともたくさんあったけれど、丁寧に物事に取り組む姿勢、
忖度する人や、得をしている人を嫌う、不器用な正義感


野球で言えば、
ストレートしか投げず、カーブ、スライダー、フォークなどの変化球は投げない 
(知らない) ピッチャーであった。


妻は、剛の部分以外の柔の部分でも、私を感動させた。


天然であり、時に天使のように見えることもあれば、
時に困ったことをしたり、不思議な行動をしたり。


1人の人間の中に、多様なものが詰め込まれていた。


以上を見ると、
明らかに生きづらく、損をするタイプになるが、


なぜか、妻の中の芯なるものに、心が揺さぶられ、
私は感動していた。


人間、感動したものがあったら、
自分だけで独り占めするよりも、
他の人にお裾分けしたくなるものだ。


映画を観て、人にその感動を伝えることは可能だが、
妻から得た感動を人に伝えるのは、かなり難易度が高い。


相手が、妻に関心がないと伝わらないからだ。


やはり、
妻からもらった感動は妻にお裾分けするのがいいと思う。


でも、
妻はいないのでは?


たとえ、いないとしても、
妻からもらった感動を、生きるエネルギーに変換して、
それを支えに生きていくことは、妻に対する供養になると思う。


妻を意識して毎日を過ごすことは、
マイナスにはならないだろう。

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