これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の命日に思う

10月6日は、妻の命日だった。
妻が亡くなって、5年が過ぎた。


妻と私は、行事に関心のない夫婦だった。


私の誕生日に、24年間妻からのプレゼントは
1度もなかった。
(私の場合は、妻の誕生日に、ショートケーキを
買って帰っていたけれど・・・)


クリスマスも何ら普通の日と変らなかった。


そういう形が、私たち夫婦には自然だった。
特別な日を作って盛り上げなくても、
365日一緒に暮らしていられれば
それで幸せだと二人共に思っていた。


喧嘩も、そこそこしたけれど、
怒った妻の顔も可愛いいいと、私は感じていた。


私は今でも「行事」には無頓着だけれど、
「妻の命日」だけは、気になる行事になった。


行事といっても、妻が好きだったショートケーキを買って来て、
遺骨箱の前に、お供えするだけだけど・・・。


だだ、
「命日」は、妻が亡くなった日ということもあり、
どうしても、5年前の10月6日の1日を思い出してしまう。


私が、妻の健康に対して、もう少し敏感であったら、
妻を助けられたかもしれない という後悔が頭をよぎる。


現在、
私は、二つの時計を持っていて、
1つは、止まらずに今の時刻を示している時計


もう1つは、2017年10月6日から止まったままの時計
それは、私の心の中に置かれている。


私は、その二つの時計を交互に見ながら毎日を過ごしている。


その止まったままだった時計が、
私が亡くなると同時に、再び動き出す。


そんな出来事を頭に描きながら、
私は、毎日淡々と丁寧に生きている。

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