これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

悲嘆とは何者だ

悲嘆は心の中に影を落す。


“影”と聞くと、マイナスイメージしかないが、


影がない場合、ものが平べったいものに見えてしまうが、
影があることで、立体感が得られるようになる。


私は、悲嘆により、
心に影を持つことになった。


影を持つことにより、
私の心は、立体感を持ち、
輪郭がはっきりするようになった。


皮肉なことに、
妻を亡くして、自分のことが見えるようになった。


これを、
「悲嘆のおかげ」と言っていいものだろうか。


それまでは、自身について、
ぼやっとしかわかっていなかった。
というより、わかる必要性を感じていなかった。


悲嘆を持つことで、
自分というものを見つめ直し、
自分自身について、考えるようになった。


自分の至らなかった点や、
後悔というものが浮き上がって来て、
見えるようになり、
妻に対して、もっと何か出来たのでは、
という思いが頭をよぎる。


明らかに、妻がいた頃に比べて、
自分を見つめ直す時間が増えている。


自分を知ることで、自身に厚みが出来、
そのことが、相手に対するやさしさになる。


皮肉にも、私をそのようにさせたのは、
“悲嘆”だということになる。


妻の死が、
私の心の中に“悲嘆”を生み、
その“悲嘆”により、
私は、より優しい人間になった。


“悲嘆”とは、何者だ。


妻と今度会うときは、
平べったい人間ではなく、
立体感のある人間として会うことが出来るはずだ。

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