これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑩

6月22日、主治医が訪れた。いつものようにまず血圧を計る。
120/60 体重は39.9 血圧はいいが、体重が気にかかる。
妻の要望で薬を1日2錠から3錠に増やすことになった。


その後、処方箋を持って痛み止め薬を受け取るため、
調剤薬局へ二人で向かった。
今回で3回目になる。


その往復10分程を、いつものように手をつないで歩いた。
手をつないで歩くのも、あと何回だろうかと思いながら歩いた。
短い時間だけれど、残り少ない幸せな時間だと思った。


家へ戻って、妻へ生活費として10万を渡した。
この状態で、妻はお金を使うことはないのだが、
節約を強いたことに対する、妻へのお詫びを形にしたもので、
遅すぎる償いである。   


夜、闘病中の小林真央が死去したというニュースが流れていた。


二人でテレビを見ていたのだが、妻はこの番組をどういう気持ちで見ていたのだろうか
いずれ自分にも訪れる「死」を、より強く身近に感じたはずだ。
どのように、その死への恐怖に対峙していたのだろうか。
私が見る限り、妻の顔に不安な表情を見ることはなかった。


妻は日々の生活の中では繊細で気弱なところがあるが、
「死」というような壮大な対象に対しては、凜とした姿勢を示すところがある。
お姫様からサムライに変身する。


6月24日、夜、妻は右脇腹痛を訴えた。


6月25日、朝、妻は主治医に電話して、月2回訪問を4回に変更する旨を伝えた。
1日中、右脇腹痛が続いた。元気がない。
体重40.2㎏、背中に赤い斑点が出来ている。


6月26日、右脇腹痛が回復した。明るさを取り戻している。


妻は私に「危篤状態になっても家族には言わないで」と言った。


妻は遺言書を作成した。
「妻所有の貯金を全て私が受け取る」という内容のもの。
1枚の紙にサインペンで数行書いた簡単なものである。


妻名義の貯金は数十万だったが、
それでも実印をしっかりと押していた。

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