これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

過去を引きずって生きる

昨日、29日からゴールデンウィークに入った。


外食をするため、自転車で町の中を走っていると、
すれ違う人の顔つきが、例外なく高揚している。
会社での管理から開放され、
時間を自由に使える期間が始まることから、
そういう顔になるのは、よくわかる。


コロナ禍の時に比べて、
人が一気に増えているのと、外国人の旅行者が目立つようになっている。


人を避けながら走るのは、少しストレスになる。


会社によっては9連休になるが、
私の場合は、仕事をしていないので、
特別、いつもと変わる訳ではなく、顔つきはいつもと同じだ。


違いと言えば、
毎週木曜に行っているテニススクールが休みになるので、
2週間テニスをしないことになる。


運動不足になるので、
買い物や外食先まで自転車で行っていたのを、
一部、徒歩に変えてみようと思っている。


あとは、全く整理されてないパソコン内にある妻の写真・動画を、
ゴールデンウィーク中に、整理してみよう と思っている。


私の人生は、4つに分けることが出来る。


A: 生まれてから妻と出会うまで (過去)
B: 妻と共に暮らした期間 (過去)
C: ひとりになってから、死ぬまでの期間 (現在から未来)
D: 死んだあと (○×△🔳)


A(過去)、B(過去)、 C (現在から未来)はつながっており、
一体として、私の人生を形作っている。


これらを分断すると、どうなるか。


過去と現在の行き来がなくなり、過去に囚われることはなくなる。
妻を喪ったことからくる「喪失感」は生じない。


その代り、妻との思い出もなくなる。


やはり、過去は必要だ。
過去を忘れると、私ではなくなってしまう。


痛みに耐えながら、
過去を引きずって生きるのも悪くない。 (自虐的?)

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