これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

愛すべき凸凹(でこぼこ)人間

妻の世界の中に、日本人特有の同調圧力の世界はない。


先入観を持たず、自分の感性でものを見るため、
相手が身につけている鎧で隠れている部分を、
鋭く見抜くところがあった。


このように書くと、
一緒にいて気が休まらない人のように見えるが、
私にとって、気持ち良く一緒にいられる人だった。


その理由の1つに、妻が天然だったことが挙げられる。
不思議なところもたくさんあった。


テニスの区民大会に出た時、何度か妻を連れて行ったが、
試合後、帰りの車の中では、
私の試合結果、プレーの感想には一切触れず、
テニス以外の話をしていた。


テニスが嫌いという訳ではなく、
テニスやスポーツをする私は好きだったようなのだが、
私がプレーする姿を見ていなかったのでは と思わせるような
不思議人だった。


妻は正義感が強い人だった。
ずるい人には、立ち向かう人だった。


派遣先で、最初に言われた内容と違う仕事を説明もなくやらされ続けて
妻の正義感を刺激してしまい、最初は取り合わなかった派遣元から
最終的に、謝りを入れさせることもあった。


私に対しても、ずるい行為を見つけた時は、
毀滅の刃の ねずこ のように、普段は、弱々しく大人しい妻が、
鬼に変身して、強烈に私を責め立てていた。


私は、妻の、このギャップが嫌ではなく、
面白く、愛おしいとも感じていた。


「正義感」と「天然」、
この一見違っているような性格を、
ひとりの人間が持っていることに、興味を持っていた。


妻の私に対する攻撃に対して、妻が可愛く見え、
天然の部分に対しては、抱擁したくなる感覚が芽生えた。


妻との生活の中で、
イソップ物語の、“北風”と“太陽”の両方を経験させてもらっていた。


妻の、この凸凹(でこぼこ)さは、私には理解出来ても。
世間では、でこぼこ以外の何物でもなかった。


そのため、妻は、外ではあまりいい思いをしていなかったと思う。


家で、私といる時が唯一、
癒やされる時であり、オアシスであったであろう。


今考えるに、
癒やされる場を求める妻に対し、
十分に私の役目を果たしたかどうか疑問だ。


もう一度、その機会を与えてもらえれば・・・。

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