これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

この先、以外と暗くない

“今の自分”は嫌いではない。


嫌いになってはいけない。
なぜなら、「私」は、
私ひとりで出来上がった人間ではないから。


両親、姉弟妹、学生時代の同級生、会社の上司、同僚、趣味の仲間、
など、
私の頭と体の中には、これらの人から得た体験、影響が存在していて、
今の私が成り立っている。


しかし、圧倒的に私に影響を受けているのは、
やっぱり妻である。


体の中に存在する「私」に対しては、
好きでも嫌いでもないが、


中に存在する妻が、私が「私」を好きでいさせてくれている。


今後も、私は、妻の考えに添った動きを続けるだろう。
なぜなら、私の体の小宇宙に、妻がいるから。


最近、考えることがある。


私が、亡くなる瞬間、
幸運にも妻が私の前に現われたなら、
当然、嬉しい。


しかし、今まで考えたことがなかった心配が頭をよぎった。


私が仮に85歳で亡くなるとしたら、
目の前に現われ妻は57歳(見た目は40歳位)、
私は、85歳のヨボヨボのじいさん。


釣り合いが取れないじゃないか。
まるで親子になってしまう。
妻はがっかりするかもしれない。


しかし、
肉体なしの、魂と魂の出会いであれば、
年齢は関係なくなる。


“魂と魂の出会い”とは、どんなんだろう。
未体験ゾーンへの、期待と関心はある。


このことは、先の楽しみとして持ちつつ、
今を生きていけばいい。


たとえそれが起らなかったとしても
無になるだけのことで、マイナスになるわけではない。


残された人生、意外と暗くない。

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