これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“比較”を消す

今日は暑かった。
東京は30度を超えた。
暑さに弱い(寒さには強い)私は、動きがだらだらとしたものになる。
妻が、エアコンが嫌いだったので、エアコンは取り付けていない。


長年、エアコンなしで生活しているので、
暑さにも寒さにも、体が適応出来るようになった気がする


環境の変化への対応。


生物は生息環境に適応した形に変化して生き延びてきた。


例えば、
以前は、天敵から身を守るため、
雪の白に近い灰色のフクロウだったのが、
温暖化により雪がなくなってきたため、羽根が茶色になった。


ペンギンの祖先は飛ぶことが出来たが、恐竜の絶滅で飛べなくてもよくなり、
それと引き換えに、体を大きくして、熱を貯めやすい体に変化し、
水中で力強く泳げる筋肉を手に入れた。


このように変化に適応して、自分を変えて生きていく能力は、
人間にもあるはずだ。


私の生活で、最大の変化は、
“人生の伴走者” がいた生活から、伴走者のいない生活に変ったこと。


この新しい生活環境に心が慣れない状態だ。


“以前の生活” が頭に残っているため、
どうしても “今の生活” と比較してしまう。


この“比較”が、
今の生活への不満を作り上げている要因と思われる。


“以前の生活” が頭の中に残っていたとしても、
比較をしなければ、新しい環境に適応出来るようになると考える。


“比較” は時にエネルギーの源となってくれることもあり、
マイナスばかりではないが、
心の安定を阻害する場合の方が多い。


“比較をしない心” を持つ方法を、私なりに考えて見た。


比較に陥ってしまう2つのものを分離することなく、
一体のものとして1つにしてしまう考え。


1つにしてしまえば、比較しようにも比較出来なくなる。


“以前の生活” と “今の生活” を、別々に考えないで一体化する。
“以前の生活” を引っ張り込んで、
“今の生活” に内包させる。


簡単ではないが、そういう考えが出来れば、
少しは“今の生活”に適応出来るかもしれない。

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