希望は持っていた方がいい
明日、“5月23日”は。
妻が、“余命1年のがんの告知”を受けた日だ。
6年前のこの日は、
私の人生で、最も辛い1日であり、
今においても、それは変わることはない。
私の人生が大きく変ることを宣告された日となった。
その日、外出して歩いている時、涙が出てきて、
止まらなくなった。
回りの人にどう見られようが、そんなことはどうでもよかった。
頭の中は、妻のことだけになっていた。
あまりの衝撃に、こんなことがあっていいのかと思った。
私の人生もこれで終わったと思った。
妻を幸せにすることぐらいしか目的がなかった私は、
これから、何を目的にして生きて行けばいいのだろう
と思った。
“2017年5月23日” の事実は、
圧倒的な力でもって、私を奈落の底に叩き落とした。
妻の闘病中、
1日1日を丁寧に過ごした。
そして、
4ヶ月半の闘病後、10月6日、妻は亡くなった。
いつか来ることだと覚悟していたこともあり、
がん告知の時に比べたら、心の痛みは、小さなものだった。
しかし、その日以降、
どんよりと厚い雲に覆われたような日が続くようになった。
5年ほどは、私の心はそんな状態であり、
「妻はもう会えない人になった」ということを、
100%疑うことなく生活していた。
しかし、1年ほど前から、
心に微妙な変化が生じてきた。
「決して確率は高くないけれど、
もしかしたら、妻に逢えるかもしれない」と思うようになっている。
“希望”を持たない自分と、“希望”を持っている自分では、
人間が少し違って見える。
根拠のないものであっても、
“希望”を持っていると、体が少し楽になる。