これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

相性と感動

前回のブログで食欲がないことを書いたが、
それは、まだ継続していて、


15日から17日にかけて、
16日、17日の朝にパンを一切れだけ食べただけで、
それ以外に食事は取らなかった。


体重は3日間で、76.6キロから73.6キロに減った
運動してもなかなか減らなかった体重が、いとも簡単に減った。


18日は、朝はパン、
昼は回転寿司店でのキャンペーンをネットで見つけ、
寿司なら食べられるのではないかと思い、店へ向かった。


普段なら15皿くらい食べるのだが、5皿だけ食べた。
4日ぶりに昼食で食べ物がお腹の中に入った。
夜は、バナナを1本だけ食べた。


ちょっと健康への不安を感じているが、
一方で、3日くらいなら、水だけ飲んでいれば、
食べなくても、命への影響はほとんどないという経験を
することが出来た。


災害時における人命救助のタイムリミットが、
72時間(3日間)と言われている。
これは、人間が水を飲まずに過ごせる限界とのこと。


私は水を飲んでいるから、大丈夫ということか。


21日に、区の健康診断を受けることになっており、
どのような結果が出るのか、予想がつかない。


体調についての記述はここまでにします。



生前、妻は、毎日、私に感動を与えてくれる人だった。


人には相性というものがあり、
妻のような人を見ても、全然感動しない人はたくさんいると思う


私は、妻と相性が良かったせいか、
他の人が何も感じない妻のちょっとした行為に感動することが出来た。


毎日、私の感性を刺激してくれていた。


そんな妻の言動を目にすることは出来なくなった。


でも、
「妻の思い出」からでも、感動は引き出すことが出来る。


私は、毎日、妻の思い出と共に生きているから、
自ずと、感動をもらうことは出来ている。


そういう意味で、妻はまだ生きている。


妻は、私を感動させようという考えは全くなく、
自然体で生きていたはずだが、
私が勝手に感動していたと言えるだろう。


相性が悪いと、相手の微妙な違いを見つけることは困難だが、
相性がいいと、他の人には見えないものが見えるようになる
そこから、感動が生まれる。


多分だが、
私は、本来、人を感動させられる人間でないが、
相性の力が、妻の感動を引き出していたと思っている。


平凡な二人であっても、
相性が良ければ、
お互いに感動を与え合う関係が出来上がるのだと思う。


「悲しみ」と「感動」を交互に受けながら、
私は、人生の最終章を生きている。

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