これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

想定外に対する創造性

出産時に夫の立ち会いのもと、
痛みとの戦いを経て、無事に赤ちゃんを出産し、
涙する奥さん、それを見て微笑む旦那、
番組でその様なシーンを見ていた。


一つの命が誕生する瞬間であり、
見ていて、“命”というものを改めて考えることになった。


私は、それを見た後、
目がテレビの下に移った。


テレビの下には、妻の遺骨箱が置かれていて、
その両端に妻のスナップ写真がいくつか立てかけられている。


妻が私に寄り添うように腕を組んでいる写真や、
楽しそうに笑っている顔が目に入る。


すると、
“妻の命”の方に、考えが及ぶようになる。


妻の人生は幸せだったのだろうか。
私は、妻を幸せに出来たのだろうか。


一定の幸せは、作ってあげたけれど、
十分に、妻を幸せには出来たとは思っていない。


妻を幸せにする必要条件ばかりに気を取られ、
十分条件に入る前に、妻は逝ってしまった。


例えば、
二人の老後を楽しむための資金を作るため、
倹約を強いて、お金は貯まったが、
使える時には、妻はもういなかった。


そのお金は、妻がいて初めて価値があるのであり、
私が一人で持っていても、
紙くずとまでは言わないが、ほぼそれに近いと言っていい。


私に欠けていたのは、
想定外に対する、想像力の無さだった。


健康診断を受けようとしない妻に対して、
受けさせる手立てを何もしなかった。


これも、油断の一つだ。


妻の人生は、57年だった。


私に創造性があったら、
妻の人生はもう少し長かったはずだ。

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