これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

生活と人生

私は、毎日、
寝て、食べて、運動したり、テレビを見たり、
言わば、生活(きて動)している。


私は、並行して、
人生(としてきている)を歩んでいる。


どちらも「生」とういう文字が入っていて、
生きているから経験していることと言える。


二つの違いと言えば、
「生活」は、肉体の維持のためというイメージが強いが、
「人生」は、心を中心に考えるものという印象で、
哲学的であり、複雑性を感じる。


今までに、
「生活」のなかで、交わった他人は多くいたが、
「人生」のなかで、ほんとうにふれあった人間は、
妻のみだったと言える。


「生活」では、優劣がありがちだが、
「人生」は、人それぞれであり、優劣はない。
一度生まれ、一度死ぬ点では、平等だ。


妻が亡くなっても、
「生活」においては、大きな変化はなく、
淡々と生活を送っている。
接するのは他人ばかりだ。


「人生」の方は、大きな変化を感じている。
深くふれあう人がいなくなった点だ。


毎日、接するのが他人ばかりの人生になった。
心が満たされていないと感じるのは、このせいだろう。


妻がいない人生。
否が応でも、このような人生を送らなくてはならなくなった。


すでに、そんな人生を6年送っている。
そろそろこのような環境に慣れないといけない。


妻はいなくても、
妻の面影に語りかけることで、心の隙間を少しだけ埋めている。


まだ、会話が一方通行の感が強いが、
いずれ、双方向で会話している感覚を身に付けたい。

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