これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「生」という点と、「死」という点

人生は、
「生」の点と「死」の2点を結ぶ線上を、
生から死へと時間と共に進み、
「死」の点へ到達した時点で、終了すると考えている。


今、私は、その線上を、
「死」という点に向かって、進んでいる最中である。


一方、妻は、6年前に突然、ぷつんと線が切れて、
切れたところに、「死」という点が付いて、
妻の人生は終了した。
57年の人生だった。


妻が亡くなるまでは、
私は、
「生」とか、「死」について考えることは。あまりなかった。
主に、線の上を、上手く渡ることばかりを考えて生活していた。


「線」の始まりが「生」であることや、
到達点が「死」であることは、意識の中になかった。


しかし、
妻が亡くなってからは、
線を見ることはしなくなり、
「生」と「死」の2点を見ながらの生活に変った。


そのため、
赤ちゃんや、小さな子供、動物、鳥、昆虫などを見る時、
「生命」を感じ、
「生」を考える時間帯になっている。


「死」については、
自分が死ぬ時の、心や体の状態に関心を持つようになっている。


死ぬことに恐れを持つことなく、
安らかに亡くなるには、どうしたらいいかを考えている。


「死」という点まで、どの位の期間があるかわからないが、
そこまでの、期間にやるべきことは、
「諦観」する心を養うことだと、最近考えるようになった。


「諦観」を、ネットで調べて見ると、
「あきらめてしまうことではなく、物事をあきらかにし、
悟って超然とした態度をとることを表す」と書かれている。


私のような凡人には、高い目標になるが、
現在、生活する中で、目標がなくなっている私にとっては、
難しくとも、これを目標として生きればいいのでは 
と思っている。


このような境地に到達することが出来たら、
死の恐怖に入り込まずに、安らかにこの世を去っていけるのでは、
と考えている。


妻は、
どのような境地で、この世を去ったのだろう。

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