これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

人は、それぞれの道を歩んでいる。


何度も分岐点にさしかかり、判断して1つの道を選び
進んできた。


その判断に対し、後で後悔することもあるだろうが、
すべて後悔しないような選択はありえない。


分岐点での判断を繰り返した結果、
私の今の位置がある。


私は、判断の繰り返しの途中で妻と出会った。
私の人生で一番の快挙だろう。


違う道を選んでいたら、妻と出会うことはなかった。
出会ってからは、
二人は手を繋いでその道を歩んでいた。


しかし、
神様は、何を思ったか、二人の歩く道を、分けさせた。


妻と私は、別々の道を歩むことになった。


一人で歩くのは楽しくない。


もう一度、手を繋いで歩きたい。


別々の道を歩いているが、
いつか合流するようなことは、あるのだろうか。


それとも、永遠に合流することはないのだろうか。


もし、そうだとしたら、
神様が、
道を分けた理由は何なのか。


「試練を与えたのですよ」とか、きれいな理由をつけてはいても、
本当は、
人が悲しむ姿を見て、楽しむ悪趣味があるのではないか。


人の悲しみを想像出来ない感度の悪い輩なのか。


だだの気まぐれな権力者か。


神様を軽蔑する言葉を並べたが、


そもそも、「神様」というのは、
都合上、人間が作り上げたものであり、
存在しない可能性もある。


この先、道が合流して、
妻に再び逢えるようなことがあれば、


私は、
”神の存在” を認めることになるだろう。

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