これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

忘れること

妻がいなくなって、
喪失感という雲が、私の心を漂っている。


喪失感をなくする方法は、1つだけある。


それは、
妻を忘れること。


人間は、いろいろな機能を備え付けているが、
忘却機能も与えられている。


忘れることで困ることは多いが、
忘れることが便利だと思うことも、いくつかある。


人間の忘れるという特性を、したたかに利用している職業もある。


テレビマンは、
視聴者の記憶が、1ヶ月ほどというのを計算して、
同じ情報を、さも新しい情報のように届ける。


政治家は、
自分に不利益な事件が起った場合、
いずれ国民が忘れるのを計算して、
のらりくらりとはぐらかしながら時間を稼ぎ、
難局を乗り切ることも、政治家の重要な能力の1つと考えている。


これらは、
「忘却」をテクニックととして利用している例だが、


「忘れること」が、いい結果をもたらすこともある。


例えば、
嫌なことも、
時間がたてば、徐々に記憶は薄れていき、
当初、辛く感じていたことも、それほどではなくなり、
楽になるということもある。


頭の中がたくさんの記憶でパンパンの時、
その中のいくつかを忘れることで、頭の中が整理されて、
頭の中がクリアになったりする。


妻の記憶を消し去ることが出来れば、
喪失感、悲しみ、後悔、等が消えて、
間違いなく、体は楽になるはずだ。


しかし、
「妻の記憶」は、
私が、今唯一持っている宝物だ。
そう簡単に消したりは出来ない。


“喪失感”があったとしても、
「妻の記憶」を持っていれば、
生きているという感覚は保たれるだろう。


「妻の記憶」は、
妻と私が、いっしょに暮らしたという“生きた証”であり、
「証明書」みたいなものだ。


私にしては立派すぎる “勲章” みたいなものだ。


なくすことのないよう、しっかり身につけて、
生きていきたい。

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