これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

生活と人生

「生活」と「人生」
一見似ているが、違いはある。


文字としては。
「生」は共通で、「活」と「人」が違っている。


「生活」に目を向けている人は、
生きるため、いかに毎日の活動をするかを考え、
そのため、お金、付き合い、健康等に気を使っている。
イメージとしては、水平に目を向けている。


「人生」に目を向けている人は、
人としてどう生きるかを考えていて、
無意識のうちに、宗教、哲学、宇宙の領域に入っている。 
視線が上に向いているイメージがある。



私の場合、妻を亡くす前までは、
概ね「生活」に目が向いていた。


妻を亡くしてからは、
はっきりと、「人生」の方に心が傾いている。


「幸せの素」であった妻は、間違いなく亡くなった。
もはやどうにもならない。
このような状態になってしまい、
今後、どのような人生にすればよいのだろう。


ヒントがあるとしたら、
妻が空からいつも私を見ている と考えればいい。


そうすれば、自ずと答えは出るはずだ。




3月11日前後から、
テレビのニュースで、被災地のニュースが増えている、


それまでは、どの局でも“裏金”番組が毎日続いていた。
金と出世のことで頭が一杯の「生活」を送っていることで、
これ以上ない汚い顔つきに仕上がった人たちを毎日見せられていた。
組織の中でがんじがらめにされ、
意に反した行動をとった人もいるだろうが、
情けない人間であることには変わりがない。


ここ数日は、
大切な人を喪った人たちの顔をテレビで見ることが増えている。


被災者の言葉で、
「天国で見ていてくれると思う」や、
「そばでずっと見守ってくれている」など、
あたかも、大切な人がまだ生きているような表現を、
ほとんどの人が使っているような気がする。


“つながり続けたい”という気持ちがそう言わせているのか、
魂の存在を信じているのか わからないけれど、
傷心を少しだけ癒やしてくれる言葉であることは、間違いない。


この人たちの顔を見ていると、
人生」について考えている顔つきに見えてくる。


その表情には、深みがある。


でも、数日経てば、
テレビの画面には、
たくさんの汚く情けない顔が、再び戻ってくることになる。

×

非ログインユーザーとして返信する