これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

過去の自分と未来の自分

私は最近、外に出かけた時の楽しみを見つけた。


それは、
小さな子供を見る楽しみだ。


何が楽しいのか。


子供は、予測不能な動きをする。
昆虫も、予測不能な動きをする。似てる。
妻も、予測不能な動きをよくしてた。


子供は無垢で純粋。濁ってない。


ゴミボックスの穴の中を、頭が中に入ってしまうくらいの体勢で
覗き込む子供。
母親に「もう行くよ」と言われ、引っ張っていかれる。


スーパーでほしいお菓子を手にする子供。
母親に「ダメダメ」と言われても、未練いっぱいの顔で、
お菓子を元に戻さない。


子供を見てると癒やされる。
以前は、妻が “無垢の癒やし” を与えてくれていたが、
その空いた穴を、子供が少しだけ埋めてくれている。


だから、私は子供を見る。


子供は、“未来” をたくさん持っている。
私は、“過去” をたくさん持っている。


その“過去” には、妻との24年半の生活がある。
その “24年半の生活” が今の私を形づくっている。


未来の私も、
“24年半の生活” を基盤として作り上げられることになるだろう。


妻の影響を受けた私の言動を、妻は空から見て、
いっしょに暮らした甲斐があったと思い、安堵するだろう。


何かを行った直後、
妻の影響を受けてることに気づいた時、
私の幸せがある。


それは、妻と融合している体感があるからだ。


過去の妻が、今、そして未来の私に影響を与えることになる。


今後も、妻と私は夫婦なのだ。

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