これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

やさしさの迷走

私は人から、
やさしいとか、やさしそう か言われることが多い。


でも、
私は、やさしい人間ではない
自分のことを一番知っている私が言うのだから、間違いない。


私は、妻に対してだけやさしい人間だ。


ほかの人に対しては、可もなく不可もなく接していて、
特別にやさしくしたいとは思わない。


もし、相手からやさしいと言われたとしたら、
それは、
やさしくしている自分の姿に酔っている自分がいるのであって、
相手を思うやさしさではなく、自分のためのやさしさと言える。


なので、私は、
博愛精神は持ち合わせていなく、
例えば、福祉の仕事や、牧師などの仕事をやったとしたら、
表面的にはやさしく出来ていても、
中身の伴わないやさしさであるため、長くは続かないと思っている。


ただ、妻に対してだけは、
「やさしくしなければ」ではなく、
無意識の中で、「やさしくしたい」と思えていた。


そのような私の前から、妻がいなくなると、
私のやさしさは、迷走し始める。


妻以外に向かおうとしない“私のやさしさ”は、
行き場を失い迷子状態となっている。


なので、しかたなく、
私の頭の中にバーチャル空間を作り、
その中に“妻”を存在させ、
そこに向けて“やさしさ”を発信させている。


言わば、私が“私のやさしさ”を騙していることになる。


妻が生きていれば、このような小細工は必要ないのだが、
いないのであるから、致し方ない。


少なくとも、私がこの世にいる間は、
このようなやり方を続けざるを得ない。


もしも、もしも、次の世界があるとして、
妻と再会するという奇跡が起ったなら、


私の心の中にたくさん溜まっていた“やさしさ”を
心置きなく放出することになる。


このような筋書きを考えてはいるのだが・・・。

×

非ログインユーザーとして返信する