これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑬

7月5日、妻から血便があったと聞いた。


夕方、区の福祉保健部の方が来て「被保険者資格証明書」を届けに来た。


6月29日に申請している要介護認定の決定が成されるまでの間、
保険証に代わるものとして、介護サービスを受けるために必要となる。


私は夜、妻に、スーパーで買ってきた牛肉をレンジで温めて出した。
妻は「美味しいと言って食べてくれた。」


7月6日、主治医からの往診の時間を伝える電話が
いつもの9時を過ぎてもかかってこない。


9時半にこちらから確認の電話を入れた。
今日来る女医は事前の電話なしで、来るつもりだったようだ。
いつも来ている男性医師は必ず9時に電話をくれていた。


12時半にその女医による往診がなされた。


脈拍90台。血圧130 68。


妻は、先生に次ぎのような話をした。
「週に2回ほど胸が苦しくなり死の恐怖を感じる。血便があった。
亡くなる時期を知るにはどうしたらいいでしょうか?」


先生、「飲み物以外飲み込みにくくなると、あと2~3週間です。」


妻「その時は睡眠薬を希望します。点滴はやりません。」


その後、痛み止めの薬を受け取るため、処方箋を持って
二人で、調剤薬局まで歩いた。


7月7日、
妻は、寝たまま話をしない。
体重38.9㎏。5月は39.9だったので1キロ減った。


15時30分、いびきをかいて寝ている。
16時30分、ハアハアと声を出し、呼吸をしている。


7月8日、
妻の行動
ゴミだし→トマトを食べる→ 100円ローソンへ買い物 → 洗濯→ 洗濯物たたみ → 洗い物
薬1日3回


私が代わりにやれることばかりだが、
妻にとって、能動的に動くことは体に免疫力がつくと考え、
妻から助けを求めるまで、意識的に妻に任せるようにしている。


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今日から令和。


昭和から平成に変わるとき、私は独身であった。
平成から令和に変わったが、やはり一人で迎えることになった。

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