これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻のいない一日

アルバイトのない日の、平均的な過ごし方を書いてみた。


朝8時頃起床。


妻の写真に目をやった後、
額を遺骨箱にくっつけて、両手で遺骨箱を撫でながら
「おはようございます」と出来るだけ張りのある声で、語尾を上げて声を掛ける。


そうするのは、
一つに
私は元気に生きているということを妻に感じてもらうため、
もう一つは、
あの世で人間関係がうまく行かず孤立しているかも知れない妻に元気を与えるためだ。


この行為を死別経験のない人に話すと、間違いなく不気味に思われるはずで、
話すのは、ここのブログ内だけにするつもりだ。


顔を洗う。


体重計に乗り体重を量る。
だいたい74キロ台。
5年前、会社の健康診断で空腹時血糖値が140あり糖尿病と判定された。
その時の体重は82キロだったので、8キロほど減量出来ている。


パンにブルーベリージャムと蜂蜜を塗ったものを、豆乳を飲みながら食べる。
蜂蜜を塗り始めたのは、妻が亡くなった後4ヶ月ほど続いたぜんそくを治すためで、
それが効いたのか、その後は、ほとんど咳が出なくなった。


玄関ポストの新聞を取り、テレビ欄を抜き出し、画板にクリップで止め、
録画する番組を赤のサインペンでマークする。


この行為を妻はいつしか真似するようになり、
買ってきたTVガイドにペンでマークするようになっていた。


この行為以外でも、妻は私のやることの多くを真似しようとしていた。


出来るだけ私と一体になりたいという妻の思いに気付き、愛おしいと思っていた。


早朝に録画してあるテレビの経済番組を1,2倍速で再生して見ながら
時々パソコンで株価ボードに目をやる。


11時頃、洗濯を始め、昼頃、洗濯物を干す。


再び遺骨箱を撫でながら「食事と図書館に行ってきます」と声を掛け、出かける。


夕方、スーパーに行き、食料を調達し帰宅する。


遺骨箱に「ただいま帰りました」と声をかける。


洗濯物を取り込みたたむ。


夜は、しばらくテレビを見た後、食事をする。


食後、水洗いをしていると、水洗いをしている妻の面影が浮かんでくる。
それと同時に「奥さんはもういないんですよ。」
と念を押されている気分にさせられ、
胸の中を寒い風が通り抜ける。


ワインを少し飲みながらしばらくテレビを見る。


そして、遺骨箱を撫でながら「お休みなさい」と声を掛けて、寝床につく。


一日中、途切れることなく妻のことを考えていて、布団に入り目をつぶっても
意識がある間は妻のことを考えている。


意識が無くなり、眠りに入って初めて一日が終わる。

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