私の妻 ⑤「純粋さ」
私が妻の言動になぜ癒やされていたか、考えてみた。
妻は「純粋な心」を持っていた。
作り上げた物ではなく、
自然に持ち合わせているように見えた。
あまり出会うことのないタイプの人だった。
一途に相手を思い続けるという傾向もあった。
私に対して、「出世」や、「給料の額」などについては、
一度も触れたことがなく、
それよりも、私自身を見てくれていた。
素直にこちらに頼りたいという雰囲気も出していた。
しかし、
“純粋さ”は、
会社という組織の中では、マイナスに働くことが多い。
純粋が故に、周りを気にすることなく、
自分の思う方向に突っ走るところがあり、
いくつか勤めた派遣先で、妻は、苦労していたようだ。
持っている純粋さを削っていけば、
子供から大人に近づいて行き、
会社という、忖度や計算高さが必要な組織の中で、
上手く立ち回れるようにはなるだろう。
しかし、私は、
ズルさを持ち合わせている大人よりも、
大人に成り切れてなくても、
“純粋さ”を保っている妻が好きだった。
「動物」や「子供」は、
純粋であるとともに、
“情報”を人間の大人ほど持っていない。
妻も、
あまり人と交流することが少なく、
“情報”をあまり持っていない人だったといえる。
純粋 ≒ 動物 ≒子供 ≒ 妻 ≠ 大人
となるのでしょうか。
純粋な心を持つ人は、純粋な人と気が合うという。
分かるような気がする。
動物である犬は純粋で、
妻は、人間よりも純粋な犬が好きだった。
私は、妻ほどの純粋さは持っていない。
しかし、
妻は私に好意を寄せていた。
妻から見て、
私も“純粋な人間の範疇”に入るということか。