これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の引力

自分の周りの人との関係性を、同心円で考えてみた。


中心に、“点”としての自分がいて、
その“点”を最初に囲む円に入る人は、自分にとって大事な人。
外側に描かれる円に入るほど、関係性は薄くなる、


中心に一番近い円に入るのは、
何でも気兼ねなく話せる友人であり、
現在二人いて、
学生時代の友人で、現在関西に住んでいて、
出張で東京に来た時に連絡が来て、会っている。
彼は、亡くなった妻の話を気兼ねなく話せる数少ない人である。


もう一人は、
新卒で22年間働いた会社の一つ年上の先輩で、
その人とは、お互いを認め合う間柄である。


コロナで3,4年会っていないが、
年賀状には、いつも「今年こそ飲みに行きましょう」
と添え書きされている。


そのひとつ外の円に入るのは、
親族(両親は亡くなっているので、姉弟妹と甥姪がそれにあたる)。
血が繋がっていることもあり、縁を切らない限り、
ずっと繋がっている相手になる。


更に、
血は繋がっていないが、妻の義姉がいる。


3番目の外側の円には、
私が入っている生命保険の担当である女性(30代後半)が入る。
亡くなった妻の話をしても大丈夫な人であり、


営業社員と顧客という関係を差し引いても、
数少ない、貴重な人である。


4番目の円に入るのは、
毎年、年賀状が来る高校時代の同級生2人と、
大学時代の2人。
そして、
妻の遺骨に手を合せに来てくれた、妻の高校の同級生の男性。


5番目の円に入るのは、
毎週顔を会わせる、
パソコン教室の先生、(妻の話は、少しだけ出来る)
テニススクールの仲間(私の家族の話は一切していない)


6番目の円に入るのは、
マンションの管理人など、時に会話をするが、
住まいとの関係などで繋がっているだけの人。


以上が、
現在の私を取り巻く人間関係の同心円になる。


妻がいた時も、同心円の内容は変らないが、
一つだけ違うところがある。


それは、
中心点にいる人が、「私」ではなく「妻」である点だ。


私は、
妻の引力の影響を受けながら、
妻の周りを回っている惑星のようなものだった。


水平の引力の影響を受けなくなった私は、
妻に代わり、中心に移動して、動かなくなっている。


でも、妻からの垂直の引力を、頭の上から感じている。


この引力が、私を生かせていることがわかる。

×

非ログインユーザーとして返信する