これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

18時間の使い方

私の今の生活は、
「ねばならない」から開放されたものとなっている。


それまでは、
老後のためにお金を増やさなければならない、


糖尿病予備軍から脱却するため、
食事に気をつけなければならない、運動をしなければならない、


会社で働かなければならない、朝早く起きなければならない、
人から、評価を得なければならない、等


以前は、
頭の中が「ねばならない」で覆われていて、
焦りがあり、落ち着かず、時間に追われている感じだった。
でも、
焦ってる割りには、何事も中途半端な状態だった。


今は、
会社勤めがなくなったことと、妻がいなくなったことが


それらをこなす必要がなくなったため、
人生の剪定をすることになり、


頭の中が整理されやすくなっている。、


今は、
自分の生活だけを考えるだけで良くなった。


しかし、
会社勤めでの “しがらみ” から開放されたことはいいことだが、
妻との “しがらみ” がなくなったのは悲しい。


1日24時間がすべての人に平等に与えられている訳だが、


私は、
仕事はしていないし、妻もいない独り身であるため、
24時間の使い方は、ほぼ自分で決めることが出来る。


24時間を与えられても、
仕事をしている人はともかく、
何をしていいかわからず、困る人もいるだろう。


私の場合は、1人であっても、やることはある。


時間を自由に使える身になっているのだから、
寝ている時間を除いた18時間ほどは、
妻に関することに使いたい。


妻について書く(ブログ)、妻のメモリアルムービー作成、
妻の話をする(相手は限られるが)。


残った多くの時間は、妻を想う時間とする。


これで、十分、18時間は埋められる。

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