「生」と「死」
「死」を怖いと思うか。
結論を先に言うと、
妻との生活があった時は、怖かった。
妻を喪った後は、それほど怖いものではなくなっている。
(実際に、死に直面した時は、やはり怖いと思うかもしないが・・・)
失うものがなくなった状態が、
そう思わせるのかもしれない。
妻の死が、
「死」について、考えるさせるきっかけとなっている。
両親や知人の死を経験した時は、
物理的な「死」について考えた。
しかし、妻の死を経験した後は、
哲学的な「死」を考えるようになった。
それと同時に「生」についても考えるようになった。
「生」と「死」は一体のものであり、
順番は、「生」の後に「死」であり、
その逆はない。
(スピリチュアル的には、「死」の後の「生」もあるが、
普通は、「生」、「死」の順で、それぞれ1回だけ経験出来る)
単独で「死」を考えていた時は、
「死」は怖いものに思えていたが、
「生」と「死」を一体と考えるようなると、
「生」が怖いものでないのだから、
「死」も怖いものでないと考えるようになった。
(最初にも言ったが、実際に直面した時、動揺しないという
確証はないが)
物理的に「死」を捉えると、“怖いもの”になるが、
哲学的に「死」を捉えると、それほど怖いものではなくなるのだ。
妻と生活している時は、
「死」は、怖さの最上級に位置していた
少し頭が痛かったり、みぞおちが少し痛かったりした時でさえ、
そのことが、「死」につながるかもしれないと考えることもあり、
怖いという意識があった。
妻を亡くしてからはどうかと言うと、
生き物や動物、小さな子供 を見た時、
自然に「生」を感じるようになっている。
「生」を感じると、
不思議と「死」が怖くなくなってくる。
その理由は説明できないが、
自分が、“自然の一部”だと考えるようになったからなのか。
妻は、
闘病中、「死」に対して、
どういう向き合い方をしていたのだろう。
今でも、時々、そのことを考える。