これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻がいない現実

妻がいない現実を、やっと認めるようになってきているのだが、


たまに、
予期せぬタイミングで、無性に妻に会いたくなる時がある。


その様なこころの状態は、
しばらく時間を置くと収まってくるのだが、
今後も、このようなパターンは繰り返すと思われる。


妻と、物理的に会うことが叶わなくなった今、
仕方なく、写真やビデオで妻を見ることで、
お茶を濁している感がある。


それ以外に、
無意識の状態の時、夢の中で妻に出会うことが出来る。


でも、それは頭の中にある記憶が作り出した妻であって、
質量が伴わない妻であることがわかってしまう。


目で見る「写真やビデオ」、脳で見る「夢」では、
到底私の妻に会いたい欲求を満たすことは出来ない。


ならば、
心で妻を見るのはどうだろうか。


心で見る妻は見えないものとなる。


それでも、写真やビデオ、夢に比べればまだマシかもしれない。
目では見えないけれど、
より妻を感じることが出来る。


この「感じる」は、
妻に少しだけ近づけた感覚になる。


でも、
心を通して感じる妻も、
肉体と魂が一体となった妻の代替になることは出来ない。


やっぱり妻はいないのだ。
ここには妻はいないのだ。


妻を感じる感覚は、もはや、ここまでか。


でも、
もう少し、考えてみたくなる。


肉体の復活は、どう考えてもないと思っている。


でも、“魂”というものは、
絶対ない とは言い切れない のではないか。
科学的に証明されていなくても、存在しうるものがあるのではないか。


これがある場合に限り、
妻との本当の再会が成立するのだが。


無理だろうか。

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