これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑮

7月20日、10時30分、主治医の往診があった。


ベッドで寄り添っている時、妻は私の手を引き寄せてきた。


7月21日、私はバイトに出かける時、今まで妻がやっていたゴミ捨てを行った。
私たちの住まいはマンションの2階で、
ゴミは、らせん階段を降りて1階のゴミ集収室に持って行く。
妻は、その階段の上り下りが出来なくなった。。


妻は、薬(オプト)の肝臓への後遺症についてネットで調べている。


今年の1月3日のブログでも書いたが
妻は、毎年年賀状が来ていた高校の同級生の I さんに、


来年の年賀状を出さないということ、
そして、体力が弱っているのでメールの返信はこれで最後にする旨を伝え、
自分の写真を4枚添付して、送信したことを私に話した。


I さんというのは、妻が学生時代付き合っていた男性で、
I さんと妻は、お互いに好きだったのに、別れた。
子供はいらないという妻と、子供のいない人生は考えられないというIさんの
考えの相違から別れている。


妻が I さんからのメールを私に見せたという行為について考えてみて、
今思うことがある。


それは、私が間に入って、I さんを呼び、妻に合わせれば良かったと・・・。


妻は、自分が望むことを自分の口からは言わず、
こちらが察して、やってくれるまで待つところがあり
こちらが気付かず、何もしなければ、それ以上は求めない性質があった。


“妻が求めていたこと” に私は気づかなければなかったのではないか。


妻は
 Iさんは、”思い出の中で好きな人”、
私に対しては、”今好きな人”、


と見ていたのではないか。
比較するものではないと考えていたのではないか。


7月22日、呼吸が苦しくなり、午前2時30分、妻は女医に電話を入れ、
酸素呼吸器の相談をした。
また薬(オプト)の後遺症について、質問した。
電話の後、妻は「いたた」と言ってお腹を押さえた。


10時30分、女医から電話が入り、妻は話しをした後、
「主人が話しをしたいと言っているので」と言って、
急に電話を私に振ってきた。


私が「いや、別に」と答えると、妻は急に怒り出したので
電話を代り、妻の状態について先生に話をした。


「1日寝ていることが多いです。元気な時は動いてます。
意欲がある時は、任せた方が、免疫にもいいかと思っています」
と言ったのを聞いて「意欲なんてないよ」と言って再び怒った。
先生は、本当は、寝ているだけでいいのに、よくやっていると思います。」と言った。


妻は、マンション1階の100均で水を買った後、ふらついてベッドに倒れ込んだ。
筋肉が弱ってきている。


7月23日、6~7時、私に腕を絡ませて寝ている


妻は私に「サラダ、魚は買わなくていいから。
食べられるのはヨーグルト、プリンのみ。」と言った。


体に良いと思い、毎日トマトを6等分に切って出していたのだが
妻は「トマトを全部食べられなくなった。」と言った。
私が「出すのやめようか。」と言うと
妻は「いや、出してほしい。」と答えた。


二人で寝ている時、
 “妻を思うエネルギー” を妻の体に注入すれば、
奇跡を起こせるかもしれないと本気で思いながら、
私は妻を抱きしめていた。


しかし、妻の寝顔を見ていて、1年持たないのではとも思った。


まだ、やれてないことがあるのではないか。
妻はまだ生きている。ホッとする。
まだ妻のために何かやれる時間を与えてもらっている。


時間がこんなに貴重なものだと、以前は考えてもいなかった。

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