これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私の妻 ①

私の妻は、概ね「お姫様」のようであり、時々「モンスター」になる人であった。


お姫様のような人はだいたいお姫様であり、モンスターのような人はだいたい
モンスターである。


妻は両方を持っているあまり出会うことのない珍しい人であった。
あまり人と交流することがない人だったため、周りから影響を受けず
独自の自己を持っていた。


「モンスター的な行為」は、自分が馬鹿にされた扱いをされたと感じた時
軽くあしらわれたりした時、無視されたりした時などによく現れた。


少し変わった行動をする癖があり、他の人からは理解されないことも多かった。


妻の実家の近くにあるスーパーに
電車でわざわざ1時間ほどかけて出かけて行き、
私の靴下など、この近くでも買えるようなものを買ってきたりしていた。
そこまで行ったのだから、実家に寄ればいいのにと思えたが、
一度も寄ることはなかった。
実家に行くのは私と一緒の時だけだった。


私はそのような行動をする人に出会ったことはなかったが、
それも個性だと思えて、気にならなかった。


妻はよく「孤立無援」と自分のことを表現していた。
悲壮感のある言い方ではなく、自分のその立場を少し落として
こちらを笑わせるような話し方だった。


妻はドレンドを追わず、普遍性のあるものの方に気持ちが向いていた。
その時期に流行っている映画は見ず、
若い男性タレントを見て「かっこいい」とかいった言葉は一度も聞いたことがなく、
テレビにパンダが出ていても何のコメントもしなかった。


妻が好んで見るテレビは、「皇室関係」「昔の洋画」や「犬の特集」だった。


こういう所が、外で自分を生きづらくしていた要因のひとつだったかもしれない。
でも、私にとっては、そういう妻が好きだった。


飼っていたわけではないが、妻は犬が大好きで、
特に柴犬のようなシンプルな犬が好きだった。
妻は私のことを「のらちゃん」と呼んでいた。
あまり説明をしない人だったので、なぜ「のら」なのだろうと思っていたが
ある時、「のら犬 のらちゃん」とつぶやいたことがあり、
ああ、やっぱり犬のことだったのかと あらためて確認出来た。

妻がいないこと とは

夜お菓子が家の中に無いと余計に食べたくなる。
たくさん置いてあって、いつでも食べられると思うと
安心感から、食べなくてもよいという気持ちが起こって来る。
だから、食べないために、お菓子を余分に買い置きしておく
というようなことを以前やっていた。


妻が居ないために起こる寂しさは、
そのような感情の性質から来ているのだろうか。
お菓子を買うみたいに、居なくなった妻を呼び戻すことは出来ない。
いくら頑張っても結果が出ることはないということに出くわした人生初めての経験だ。


妻の肉体は無くなった。
今精一杯出来ることは、妻の面影を毎日思い浮かべ、
自分に一番近い位置に妻を置いておくこと
そうすることによって、ほんの少しだけ安心感を引き寄せることが出来る。
でも、安心感だけでなく、喪失感も同時にくっついて来る。
諸刃の剣だ。

妻と私、どちらが先に亡くなればよかったのか

妻は私より先に旅立った。


ずっと私の方が先だと思っていた。


私は、4年ほど前、空腹時血糖値が140になり糖尿病と判定された。
8月に受けた健康診断では116に下がった。
それでも、まだ糖尿病予備軍の数値である。


妻は、体に良くないものばかり食べていたが、体重も若い時と変わらず
内臓が強い家系なのかなと思っていた。


でも平均寿命まで、27年も残して亡くなってしまった。


最愛の伴侶を亡くした人の共通している点として、


代われることが出来るのなら代わってあげたい
以前ほど死が怖くなくなった。
と言う人が多い。


私も妻のがんの告知日に同じように考えた。


妻の命を救うことが出来るのであれば、こんなに嬉しい選択はない。
でもそれは不可能である。


私は、妻がまだ健康な時
妻が亡くなったとしたら、自分の心はどうなるのだろうかと
何度か想像することがあった。


想像にもかかわらず、胸が締め付けられる感覚があったのを覚えている。


ただ、それは何十年も先の話だと思っていた。


妻とは、はとバスの日帰りバス旅行によく出かけた。
その時のビデオや写真は妻を写したものがほとんどで、
自分のものはほんのわずかである。


何か見えない力が、
先に亡くなる妻の映像を少しでも多く残すように
させたかのようである。


神様は、なぜ妻の命をこんなに早く奪うような
判断力がない、頭の悪い人がやるようなことをしたのだろうか。


神様は、人に迷惑をかけるような困った人で、幼稚な人と同類なのか。


ただ神様は先が見えていて、もっと深い考えを持っていたとも考えられる。


私が近い将来亡くなり、妻が寂しい独り生活になる、
あるいは、私が寝たきりになり、妻が私の介護をしなければならなくなる、
あるいは、妻が近い将来認知症になり、私のことを認知出来なくなる。


これらのことが起こるのを神様は知っていて、
妻にとっての最善の終末時期を
選んだのだろうかとも考えた。


でも、どちらにせよ、妻がかわいそうなのは変わらない。