これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

生前、妻が行きたがった動物園と遊園地

休日、二人で出かける場所を決める時、
妻が行きたがった場所として動物園と遊園地がある。


自分はそんなところは退屈だと思っていたが
妻が希望するならと思い、付き合っていた。


大人二人がそういう所へ行くというのは、
たまに行くことは特におかしいことではないと思うが
何度もそういう所へ行くことの提案をしてくるので
途中から、なぜ大人になってまで行きたがるのだろうと
その理由をこちらも考えるようになった。


結局その理由がわからずまま終わってしまったが。


特に観覧車に乗りたがった。


乗りたいと言っていたのに
乗ってからは怖いと言ってハンカチで顔を覆ったまま
外を見ないまま過ごした。


いつもながら不思議な行動をする人だと思った。
でもその姿は可愛いと思った。


思い出すところで
遊園地では、
お台場パレットタウンにある大観覧車
東京ドームシティ アトラクションズの観覧車、   
よこはまコスモワールドの大観覧車


浅草花やしき、京急油壺マリンパーク のメリーゴーランド


動物園では
東武動物公園 多摩動物園 


葛西臨海公園観覧車、上野動物園も行きたいと言っていたが
行かないまま終わった。


この中で胸が痛む思い出がある。


多摩動物園には私は行っていないのである。
妻一人で行っている。


二人で連れ添って家を出て駅のプラットホームに着き
いっしょに電車が来るのを待っていた。


そこで、妻が持っている強いこだわりに触ることが原因で、
しつこく私を責めてきたので喧嘩になり
「俺は行かないよ」と言ってその場から離れた。


頭を冷まさせようとしての演技だったのだが
戻ると妻の姿は無かった。
少し待ったが妻は現れなかった。
もしかして一人で行ったのかな


夕方、妻が家に帰ってきた。
園内の様子やライオンがどうだったとか、明るく説明した。


聞いていて何か切なさを感じた。
かわいそうなことをしたなと思った。


なぜ妻は子供のように、そういうところへ行きたがったのだろうか。


妻が小さい時、父親が
事業を起こすと言って
奥さんと3人の娘を大阪に残して東京に出て行った。


事業が軌道に乗ったら、家族を東京へ呼ぶということだったが、
思ったより早く、2,3年で東京に家族は移ることになった。


クラスの子が、休日に父親と動物園や遊園地に行く話を
楽しそうにするのを見て寂しい思いをしていたのだろうか。
それがトラウマとなっていたのだろうか。


それを取り戻そうとしていたのだろうか
と想像したりする。


妻は、可愛い奥さんであり
可愛い娘のようであった。

供養とはどういうもの?

妻が亡くなって1年1ヶ月が過ぎた。


遺骨は妻の希望通り、手元供養として、
そのまま自宅に置いてある。


お墓に納骨するよりも、毎日24時間
妻が家の中に居るような感覚があり
安らぎとなっている。


お墓に納骨しないと成仏しない
ということも聞いたことがあるが、


故人の思いに添った形にするのが
本当の供養になるのではと考えている。


骨はただの物質であり、
魂は存在しないのかもしれない。


もしそうだとしたら、毎日遺骨に向かって
話しかけている行為は、
滑稽な姿に映ってしまうだろう。


残念ながら、魂の存在は、
残された人が希望を失わないようにするため 
人が作り上げたものだとも考えてしまう。


ただ、そうだとしたら、妻との繋がりは
完全に絶たれてしまうことになる。
それは困る。


日々の生活の中で
魂の存在を感じる瞬間に出会った時は
何とも言えない喜びを感じる。


妻に対する本当の供養は、
元気に生きている姿を妻の魂に見せること。


それを見た妻が喜ぶ。


私は、喜ぶ妻の顔が自然に頭に浮かぶようになる。


そうして私は生きる目的を取り戻すのではないか。
もう少し時間が必要だけれど。

 在宅介護

妻は何をするにもお公家さんのような動きで、
今の時代ではゆっくりすぎる人だった。
不器用で要領も悪い人だった。


がん告知後、妻は迷わず在宅介護を選択した。


集団的な対応をされる病院を選ばないことは、
妻の性格から予想された。


ある調査では、終末期に在宅介護を希望する人は71%だが、
実際に自宅で亡くなる人の割合は10%前半だそうだ。
妻はその少ない割合の亡くなり方だった。


決めた後は急に人が変わったように
テキパキと終末期の準備を始めた。


まず、在宅医院一覧表を近くの大きな病院で
もらってきて、すぐに医院を決め


ゴミ屋敷のような自分の部屋を急に片付けはじめ
テキパキと捨てるものを選別して


自分が映画を見るために契約していた
スカパーの解約手続きに手をつけ始め


2つ持っていた銀行の通帳の解約のために、
数日後には銀行に手続きに行った。


ほんの少しの預金の受け取り人をすべて私にする
という遺言まで一枚の紙に書き残した。


まるで事前に心の準備していたような手際の良さだった。


妻は家事をしない人だったが、洗濯だけは100%やっていた。


洗濯ものの量に対する洗剤の量などをメモして私に説明した。
説明を受けるほどのことでもないとは思ったが、
一生懸命説明する様子を見て涙が出そうになり、
こちらも一生懸命聞いてあげた。


自宅での介護だったが


自分の今までの人生の中で、
最も全力を尽くし、
最も真剣に物事を考え、


体は本当は疲れていたはずだが、
疲れをほとんど感じない4ヶ月半だった。