これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

見つからなかったリモコンが見つかった

10月11日のブログで テレビのリモコンが見つからなくなり、妻の仕業ではないかと書いた。
14日、洗濯しようと思い、かごから洗濯物を取り出していたら、中からリモコンが見つかった。なぜこんな所で見つかったのか不思議だ。


結婚当初、二人はセミダブルベッドでいっしょに寝ていた。


妻は夜11時前に寝ることが多く、私の方は、録画した昼間のテレビ番組を見たりして寝るのは1時頃だった。
ベッドも狭いし寝る時間も違うので、一人で寝る方が楽なので、いつの間にか別々になっていた。


妻は別々で寝るのが不満で、私の部屋に約30分ごとに様子伺いで顔を出してきていた。


そして、自分のベッドに移動するよう促してくるのだが、私はテレビ録画を見ることに集中しており、「ハイハイ」と適当に返事をしたりしていた。


すると、妻は、「この線が良くないんだ。これをハサミで切ればいいんだ。」と言ってテレビにつながるコードを見はじめる。
妻の場合、本当にやる恐れがある人なので、私は慌てて「15分後にそちらに行くから」と答えると満足して自分の部屋に戻っていった。


しかし、妻は少し天然なところがある人だったので、そういう行為がかわいいと感じられた。


また、時には、待ちきれずにすっと私の方のベッドに入ってきて、私に抱きついて何も言わず寝始めることもあった。
その寝顔と抱きつき方が、父親に抱きついている小さな女の子のようであり、愛おしいと感じていた。


がん告知から亡くなるまでの4ヶ月半は、セミダブルベッドの上で二人寄り添い、テレビを見たり話をしたりして過ごした。


そして今、妻はいなくなったが、私は毎日、セミダブルの右半分を空けた状態で寝ている。

優しさの在庫がどんどん貯まって行く

妻を亡くしてからは優しさの需要と供給のバランスが崩れ、在庫がどんどん増えていく。
優しさの大量受け入れ先である妻がいなくなったためだ。


妻は無意識のうちに100パーセント優しくしたくなる対象だった。


人に優しくした後は、なんともいえない心地よさが残る。だから人はその心地よさを得るため人に優しくする。


自分の持っている優しさをすべて使い切りたいのだが、その対象の存在が必要だ。
その大きな受け入れ先である妻はもういない。
だから、優しさの在庫処理が出来なくなり貯まる一方だ。


妻に代わる受け入れ先を見つけられればいいのだが、それは難しい。


自分はよく人に優しいと言われる。
しかし、妻以外の人に対して出せるやさしさは、多くて60パーセントが限度だろう。
60パーセント以上出したとしても、60パーセントを超える部分は自然なものではなく、見せかけの作り物の優しさだ。


行き先を失った優しさは、見えない妻を探し続ける。

もしかして、妻の魂があるかもしれない

10月9日に不思議なことが2回起こった。


まず1回目、
朝起きてテレビを見ようとしてリモコンを探すが見つからない。
この部屋の中のどこかにあるはずなのだが、どうしても見つからない。
狭い部屋なので置いてある場所は限られており、見つからないのが不思議だ。
諦めてチャンネル変更をその都度テレビ本体のボタンを押さなければならず大変
面倒だった。


2回目は、
午後外出して目的を終え、スマホをバッグから取り出そうとした時、スマホが見当たらない。
おかしい。どこかに置き忘れる場面や落とす可能性も考えられない。バックのすべてのポケットを2度確認したがそこにはなかった。
諦めて無くした後の対応を考え始めていた。


少し経って、どうせ無いだろうと思いつつも、もう一度だけと思いバッグのポケットを探したところ、スマホが一つのポケットから見つかった。ああ本当に助かった。
もしかして、認知症の前兆なのか。記憶力はだいぶ落ちてきているが、まだそこまではいっていないと思っているのだが。


この2つの現象はもしかして妻の仕業かもしれない。
もし、そうであれば妻の魂は存在することになる。
今日の出来事は、1年前に妻の姿が無くなって以降、私に、心がわくわくする時間を初めて与えてくれた。


リモコンが見つかってほしい気持ちは当然あるが、見つからない方が何倍も嬉しいかもしれない。 妻の魂が存在する可能性が高まるからだ。


今日、だいぶ散らかっている部屋を掃除しようと思う。
リモコンが見つかるか見つからないかの結果次第では、私のこれからの生活に希望を与えてくれるかもしれない。